赤レンガ造りのイメージがあるロンドンの街並みですが、ある時期までは木造が一般的だったそう。なぜ赤レンガ造りの建築が普及したのか。産地であるオランダの赤レンガと地盤の関係について解説します。
近世の赤レンガはオランダがルーツ
推理小説「シャーロック・ホームズ」と聞けば、皆さんの頭の中でイメージされるホームズやドクターワトソンらが闊歩するロンドンの風景は、当然のように赤いレンガ造りの街並みになることでしょう。ロンドンの街並み=赤いレンガ造り、というイメージは私たちの中でほぼ常識と化しているのではないでしょうか。
ところが、ロンドンをはじめ、イギリスの建物はある時期までは木造が一般的でした。例えば(写真1)のような、骨格となる柱や梁の木材をあらわしにして、壁材は上から漆喰を塗って仕上げるハーフティンバーという形式の木造建築でした。しかし、1666年のロンドン大火で木造建築に大きな被害が出たことから、再建には木造は禁止とされ、レンガ造りおよびレンガと石を組み合わせた耐火建築物だけになりました。
その際にオランダから輸入されたのが、レンガとレンガ積みの技法です。オランダでは1400年代には既に立派な城門や塔といった大きな建築物が現代と同じ赤レンガで造られていました。レンガ造りという建築手法自体は数千年前から存在しますが、近世における赤レンガ造りの建築技術はオランダが世界をリードしていたのです。こうした事情から、オランダとイギリスのレンガの積み方は、大きいサイズのレンガで目地を通すなどの共通点が見られます。
日本のレンガ造建築物の技法も最初はオランダから導入されました。オランダと縁の深かった長崎をはじめとする明治初期のレンガ造建築物はオランダの技法を用いているものがありました。その後、我が国では広く欧州の技法を学び、様々な技法が用いられました。ちょうど100年前の関東大震災で耐震性に難ありと評価され、日本では新規のレンガ造建築は控えられるようになりましたが、現存するものはイギリスとフランスの技法を用いた建物が多いようです。
オランダの自然環境と地盤
オランダは、西ヨーロッパを流下するライン川などの河川が海に達する三角州に立地した都市が起源の国家です。ゆったりと流れるヨーロッパの河川は大量の粘土を河口まで運び、海への出口では大きな三角州となって河川沿いに堆積させました。
こうした自然環境からオランダの多くの土地は地盤が柔らかく、自然に発生した陸地は狭く、農地を確保するため人口的につくられた干拓地は海面よりも低くなります。そもそもオランダには立派な山がありません。標高最高地点はおよそ300mですが、図2のように、国土の南端の極めてわずかな部分でしかありません。こうした国土では建築材料としての石材を得ることができず、またほとんどが湿地であるため、十分な木材も得られませんでした。得られるものは砂泥ばかりです。図3はアムステルダム中心街のポーリングデータです。土質で色分けしたデータを見ると、緑色が粘土、黄色が砂、あずき色が泥炭を表しており、粘土層が途中に砂層を挟んで地下60mまで続いている地盤であることがわかります。
オランダのレンガはその地盤から生まれた
困難な環境の中、オランダの人々はローマ時代に造られたレンガをヒントに、オランダの泥を使った赤レンガを造り始めました。西ヨーロッパは石灰岩が基盤となる土地が多く、河川はそうした土地を通過する区間も多いため、ながれてきたオランダの泥にはカルシウムやナトリウムなどミネラル成分を含んだものも多く堆積しています。ヨーロッパのレンガは西アジアやアフリカのような日干しレンガではありません。「焼成」という炎の中で焼き固める工程を経てでき上がるものです。焼成の温度はおよそ1200℃(注)ともいわれますが、この1200℃という火山のマグマに匹敵する高温にさらされた粘土は水分を飛ばすことで硬いレンガになるのです。オランダでレンガ造りが盛んになった事情の一つには、こうした泥の性質がレンガ造りに向いていたという面もあったのかもしれません。
ちなみに、レンガ造りの壁が所々で白く濁ったようになっている様子をみたことがある人も多いと思いますが、これは白華現象といって、レンガに含まれる炭酸カルシウムが析出して白くなったものです。糊として含まれるカルシウムが酸素や水とともに壁面に現れたもので、決して異常な姿ではないそうです。また、赤レンガの赤色は粘土に含まれる鉄分が酸化してできた酸化鉄、つまり鉄さびの色なのです。
技術士(応用理学部門:地質)
地盤品質判定士
2006年ジャパンホームシールド株式会社に入社、日本全国の住宅地盤の安全性評価業務に携わる。2011年より同社地盤技術研究所研究員、現在に至る。
趣味:気になる地形をバイクで見に行くこと。バイオリン。