今回は、東北脊梁(せきりょう)山地にある磐梯山(ばんだいさん)と猪苗代湖(いなわしろこ)、そして会津盆地について解説します。
蛇行するJR磐越西線。その理由は?
東北地方有数の火山である磐梯山周辺は見どころがたくさんある場所です。
地図を眺めると、JR磐越西線(ばんえつさいせん)を会津若松から郡山にたどると広田駅を過ぎたあたりから急に路線がうねうね蛇行し始めるのがわかります。一体なぜでしょう?
これは、猪苗代湖と会津若松市街では湖のほうが高いところにあるからです。会津若松と概ね300mもの高低差があるため、鉄道で会津若松から郡山へ行く場合、この300mの高低差を一度登って行かなくてはなりません。
しかも、猪苗代湖と会津若松市街との水平距離は凡そ10kmしかありませんから、まっすぐ進むと30/1000という急傾斜になってしまいます。そこで、できるだけ線路の傾斜を緩やかにするため、カーブを多用しているのです。
なぜ、このような急傾斜があるかというと、猪苗代湖や会津若松市街のある会津盆地、そして東北脊梁山地の軸線上に磐梯山がそびえるからです。
脊梁山地という言葉は聞きなれない言葉かもしれませんが、日本列島の中央を走る主軸の山地と思って貰えば良いでしょう。つまり、磐梯山や猪苗代湖は南北に走る東北地方の屋根の上に、そして会津盆地は、その屋根の西側斜面に位置するのです。
東北脊梁(せきりょう)山地が果たす役割
では、斜面に盆地があるという事実は何を意味するでしょう? 地盤調査・評価を行う私たちならば、「扇状地が形成される」という点に着目します。
扇状地は山地から流れ出す河川が運んだ径の大きな砂礫を堆積させてできる扇型の地形で、その地盤は固く安定しています。会津若松市街はこの安定した礫層に支えられた街なのです。
また、扇状地のある場所は突端部に湧水が多く噴出します。井戸を掘れば伏流水を大量に得ることができ、水を確保できる点でも街づくりに有利となります。
このように、現在の会津若松の市街や鉄道などが立地するための条件として、東北脊梁山地の存在は大きな意味を持っています。
帝都東京へ電力を。山体崩壊がもたらす恩恵
JR磐越西線がうねうねと曲がっているあたりの地形図を拡大すると、まるで豆粒をばら撒いたような凹凸がたくさんあるのがわかります。
これらは、かつて磐梯山が山体崩壊した時に流下した岩塊(がんかい)です。磐梯山の山体崩壊は1888年の北向き斜面のものが有名ですが、東や南西向きにも崩壊を起こしています。
この南西向きの凹凸は今から7万年前の 「翁島岩屑流(おきなじまがんせつりゅう)」※、および4万年前の「頭無岩屑流(ずなしがんせつりゅう)」からできています。非常に特徴的な地形で、その凹凸は大変な数であることが少し見ただけでもわかりますが、1888年の崩壊土砂の約3倍もの土砂が流下したとも言われています。
※岩屑流・・・空気などの低温のガスと岩屑 (岩片)が一団となって斜面を流下する現象のこと。 地震や噴火を引き金に山体崩壊に伴い発生する。
この岩屑流は猪苗代湖の北西岸にも広がりました。その結果、猪苗代湖からの水の出口は銚子の口と呼ばれる一か所だけになりました。
先ほど述べた通り、 猪苗代湖は会津盆地より約300m高い所にあリます。 つまり、 それだけ湖水が位眉エネルギー を持っているということになります。 猪苗代湖の水は銚子の口から日橋川へ一気に流れ込み、 その流下エネルギー で水力発電所のター ビンを回すことができるのです。
水力発電所を作るにはダムの堤体を渡す斜面を確保する必要がありますが、この地では岩屑丘(がんせつきゅう)がその役目を担いました。
こうして、 水力発電所の建設に有利な猪苗代湖周辺では明治時代から発電所が建設されたのです。 その目的は帝都東京への電力供給のためでした。
断層の地殻変動がつくる構造盆地
日本列島には至るところに断層が隠れていますが、この会津若松周辺も例外ではありません。
断層などの地殻変動によって陥没が生じ形成された盆地を「構造盆地」 と呼びますが、 猪苗代湖や会津盆地も構造盆地の仲間です。 猪苗代湖は丸い形なのでカルデラ湖と思われるかもしれませんが、断層や火砕流・岩屑流にせき止められてできた湖なのです。
さて、 会津盆地は東西両端が明瞭な断層で区切られていますが、断層は盆地の中の地盤の良し悪しを決定する重要な役割も持っています。
盆地東側では、 断層崖を削って流れる河川により扇状地が作られ、 地層が硬い安定地盤となり 市街地ができました。
対して盆地西側では、 喜多方市塩川町天沼付近で盆地の外から流れ込んだ各河川が合流していますが、 このすぐ西側にある会津盆地西縁断層が1611年の地震時に逆断層として隆起し阿賀川をせき止めてしまいました。その結果、 この天沼付近に山崎新湖と呼ばれる湖が出現しました。
出現後、 排水工事を行うも大雨のたびに洪水となって現れるめ、1645年に初代会津藩主保科正之が本格的に工事を行い、 ようやく洪水は解消されたと言われています。
技術士(応用理学部門:地質)
地盤品質判定士
2006年ジャパンホームシールド株式会社に入社、日本全国の住宅地盤の安全性評価業務に携わる。2011年より同社地盤技術研究所研究員、現在に至る。
趣味:気になる地形をバイクで見に行くこと。バイオリン。